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2009年08月31日

Chance meeting

長きに渡ってお送りした広島への旅も最終回をむかえます。

今回の旅は親子にとって大きな意味がありました。
今までのブログの進行であれば世界遺産も行けたし、呉の大和にも会えた!良かった!(*^^)v v(^^*) ヤッタネッ!と、おわってしまう所です。しかし、今回は少し違います。

それは帰りの広駅からの出来事が発端です。(広駅というのがあります。広島ではありません(´ー`A;)

Chance meeting

広駅で見かけた愛らしいマーク・・・これは何でしょう?




呉からの帰りは広島に出ず、呉線を経由して帰ることにしました。

広駅では愛らしいシンボルがあったので写真を撮っていました。

Chance meeting

時刻表に描かれています・・・

Chance meeting

(='m') ウププ ワンマンカーのマークだったのです。これを面白いなぁ~と写真を撮っておりました。

その時ご年配の方から声を掛けられました。

(*・・)σご年配さん 鉄道写真が趣味デスか?

σ(^_^) いえそいう訳ではありませんが、写真が好きです。

(*・・)σご年配さん お子さんは鉄道ファン?

σ(^_^) いえ違います。 彼は将棋ファンです。折り紙みも好きです。

(*・・)σご年配さん そう! 好きなことがあるというのは素晴らしいデスね。私も折り紙やっています。

Chance meeting

そう言って折られている「鶴」を拝見しました。

私は毎年8月6日に千羽鶴を持っていくのですよ。
準備は5月頃から始めています。そして資料館に千羽鶴を折るコーナーがあったと思いますが、そこで時々指導もしています。
私は爆心地から3キロ未満の場所で被爆しました。
火傷もしましたが、軍医の適切な処置で後遺症に悩むこともなく仕事も出来、定年を迎えることが出来ました。
鉄道写真や模型を以前はやっていましたが、今は折り紙に取り組んでいます。


Chance meeting

被爆当時は小学校5年生でした。
警戒警報が出て自宅に戻る途中に被爆しました。

その時強い光は感じましたが爆発音は聞こえませんでした。多分衝撃波で鼓膜が変になったのでしょう。

家には母と、幼い弟がいましたが無事でしたが被爆しています。
父は呉に動員されて広島にはいませんでした。夕方になって帰って来ました。
でも広島に入ったとたんに2次被爆しました。広島市内のいた人たちは1次被爆です。

強い光を感じてから自宅に戻るまでの記憶は全くありません。
その間の記憶は空白になっていました。軍医によると、水に浸かっているいるそうですが、全く記憶がありません。
記憶が無くなるほど強烈な出来事であったと思います。

私は小学校高学年でしたので当時の記憶があります。
しかし5歳より年少になってしまうと、記憶が定かではありません。
被爆者が高齢となり歴史の証人は少なくなっていきます。
そして最後の一人が亡くなって原爆の歴史は風化してしまう。
その歴史を風化させないようにしなくてはいけませんね。

こうして折り鶴を折って求められてはお渡ししたりしているのですよ(^-^)


Chance meeting

その他、お子さんがやりたいと言っている事はやらせてあげて下さいね。
子供は可能性の固まりデス。今役立たなくてもいずれ役にたつ時が来ます。


この様なお話をしながら広駅から福山まで1時間半。
全くの偶然でお会いして被爆体験を聞く事が出来ました。
、これも何かのご縁かもかもしれないと思いました。
このブログをお読みいただいている方々にもお伝えしたいと思いました。

一市民の記録なのです。この方が体験したことが一人でも多くの方に語り継ぐことが出来れば、この戦争で亡くなった多くの方々の御魂にお答えできそうに思いました。

今回の旅は初めてブログという道具を得て情報発信が出来たと心から思いました。


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ρ( ̄∇ ̄o) 皆様のコメント
おおっそれは素晴らしい出会いをされましたね!?
言い出したらキリないですが、naruさん達が広島に戻ってたら…、広駅で写真撮ってなければ…、オトウトくんが折り紙を趣味にしてなければ…なかった出会いかも知れません。
いや一番は原爆資料館やドームに行ったからこそ出会た出会いやないでしょうか?
最早偶然やなく必然の出会いですね!

ナマの声を聞く事が出来た2人…ホンマよい出会いしはりましたと思います。
まさに一期一会ですね!
Posted by yellowflag at 2009年08月31日 07:42
人との出会いとは分からないものですね。
ちょっぴり感動してしまいました。
naruさんは勿論ですが、オトウト君にとってはこれから生きていく上で大事な出会いだったのではないでしょうか。
こうやって広島での出来事を聞かせていただけるのも幸せな事だと思います。
ワンマンカーのマーク可愛いッスd(^0^)b 
Posted by プリンママ at 2009年08月31日 12:09
戦艦や戦闘機…そのマシーンとしての美しさには私も憧れます…

体験したものにしか語れない事…そういう方とこういう形で出会えた事は、弟君にとってもとても素晴らしい経験になりましたね…
Posted by namino-kt at 2009年08月31日 13:38
『原爆は何故落とされたのか』
日本人よ、何故 "Yes, we can." と言えるのだ!?

「原爆投下が終戦を早めた」という説は、
アメリカが原爆投下を正当化する為に、
今も言い張っているウソ話である。
「日本を降伏させるのに原爆投下は必要なかった」
という事実は、とっくに証明されているのだ。
それこそTBSの特番、
『"ヒロシマ"あの時、原爆投下は止められた』
でもやっていたほどの常識だ。
※(某キャスター氏のコメントは人間理解の浅薄さを証明する情けないものだったが。)

「天皇の地位保全」の条項さえ出せば、
原爆を投下せずとも日本は降伏すると
米国務次官・グルーは何度も主張した。
しかし大統領トルーマンは、
ポツダム宣言の草案から
「天皇の地位保全」を認める条項を
あえて削除した。
トルーマンは原爆を投下するまで
日本を降伏させたくなかったのだ!

○莫大な費用をかけて作った原爆を、
 議会対策の為にも使わなければならなかった。
○ウラン濃縮型と、
 ルトニウム型の2種類の原爆を、
 黄色いサルの住む都市で実験使用して、
 その効果を確かめる必要があった。
○戦後の世界秩序を巡って、
 ソ連のスターリンに
 脅しをかけておく必要があった。

原爆投下は終戦を早める為に
実行されたのではない!
ルーズベルトの急死で、
たまたま大統領になってしまい、
「つぶれた田舎の雑貨屋のおやじ」と言われて
全米国民の溜息を浴びていた
ハリー・トルーマンは、
自分の強さを誇示する為に、
何が何でも虫けら同然の日本人の上に
原爆を落としたかったのだ。
トルーマンは原爆を2個落とし、
目的を達成したら、グルーの案に戻り、
「天皇の地位保全」を日本に伝えた。
結局はトルーマンの計画通りに進んだのだ。
グルーの努力は実を結ばなかった!

『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』
(草思社)の著者、鳥居氏によれば、
ルーズベルトは、日本との戦争が長引けば
中国が内戦になる可能性が高まると考え、
ドイツを降伏させたあと、
一日も早く日本を降伏させるために、
グルーを起用した。
ルーズベルトは「天皇の地位保全」を主張する
グルーに希望を託したのだ。
ところがルーズベルトの急死、
トルーマンの大統領就任によって、
グルーの対日政策は無視される。
日本を降伏させるわけにはいかなかったからだ!
原爆を落とすために!
 
日本が主体の正しい歴史を知るには
小林よしのり『戦争論』全3巻がおすすめです。
Posted by 七生 at 2009年08月31日 16:34
【yellowflagさん】
( ゜▽゜)/コンバンハ
まさしく一期一会デスね!
乗り換え駅でも特に名乗る訳でもなく、まさに袖すり合うも多生の縁という言葉を思い出しました。
メディアを介して知る知識と、直接お話しを聞いたことではインパクトは全く違います。
Posted by naru@(゚ー^*) at 2009年08月31日 21:07
こんばんは。

ワタクシも、どこかへ行くと地元の方から声を掛けられたりすることが多いのです。
それで、とっても気持ちが和んでイイ気分になるのですが・・・・

今回のnaruさんたちは、それ以上に貴重な勉強の時間になりましたね。
この方の言葉と手渡された小さな折り鶴・・・記憶が「形」となり、きっと長く心に残っていくのではないでしょうか。


で、こう締めておいて何ですが、
ワンマンカーのマーク、ムッチャ気に入りましたよ、さな柳的にww
Posted by さなまる at 2009年08月31日 21:30
【プリンママさん】
偶然お会いしましたが、出会いとは分からないものです。
そして濃密な時間をすごすことが出来、歴史の勉強にもなる・・・
その勉強も教科書に載ってるような薄っぺらな内容ではありません。
実体験に勝るものはなし・・・これが一番デスね!
Posted by naru@(゚ー^*) at 2009年08月31日 22:55
【namino-kt さん】
モノがある以上カタチが存在します。
そのカタチはどんなモノでもいいのではなく、その仕組みに最適なカタチがあります。
その内容如何に問わず機能的なものは美しいと思います。
何事も体験デス。今年はホントに有意義な夏でした!
Posted by naru@(゚ー^*) at 2009年08月31日 23:02
【七生さん】
SFではパラレルワールドと言うのがよく使われます。
歴史で言う「IF もし」とよく似ている概念です。
パラレルワールドと考えれば、他の世界では戦争がない世界があることが考えられます。
なんの実証もできませんが、そのパラレルワールドでは平和な時間が流れているように願うのみです。
Posted by naru@(゚ー^*) at 2009年08月31日 23:10
【さなまるさん】
手渡しされた鶴はまさに同じ時間を共有した証デス。
オトウト君も絶対に忘れません。(暇さえあれば鶴を折っています)
可愛い運転手さんの画とともにいつまでも記憶に残るでしょうね!
Posted by naru@(゚ー^*) at 2009年08月31日 23:15
特にコメントはしませんが読ませていただきました。
Posted by ADIA at 2009年09月01日 10:04
【ADIAさん】
読んでいただいてありがとうございます。
そのコメントで十分お気持ちをいただきました。
Posted by naru@(゚ー^*) at 2009年09月01日 21:18
今年の夏の新聞記事でも目立ってましたが、被爆体験を語らなければと、感じ始めていらしゃる方が、増えているそうですね
大勢の方は、思い出したくない・・と、長い間心を閉ざして(閉ざしたところで楽になんて成らなかったこと・・・)来られたことや戦争や被爆の体験を構成に語り継がなければならない使命感が湧いてこられたことなど・・
私は、これからの記事を読んでいては!!としました。
被爆された方々の大多数は、そっとしておいて欲しかったんだなぁ~、そして、生き残ってしまったことを悔い・恥に思い中には後遺症に苦しみ長い間過ごして来られたんだな~って、ちっとも考えたこともありませんでした。

草の根的に当時の同級生の安否情報を集め始められたり体験談を集め小冊子にされたりHPを立ち上げたり・・・

この折り紙の方もそうなんですね
・・・

やっぱり体験された方にしか、判らないもっと、深い深い部分があるんでしょうね
・・・

紹介して下さってありがとうございます
Posted by よっちゃん(ゆうとまま) at 2009年09月04日 20:31
【よっちゃん(ゆうとまま)さん】
被爆体験を直接聞く機会に恵まれてたいへん良かったと思います。親子共々お話しを聞けて、それぞれに感じる事がありました。
やはり体験した人の言葉の重みは深く心に刻まれました。
お話しの中でも、被爆体験が風化してしまわないように伝えていきたいとお話しがありました。このブログが語り部の一翼を担えたかな〜と思っています。
コメントありがとうごさいました。
Posted by naru“o( ̄‐ ̄*) at 2009年09月04日 22:54
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