Project 世界遺産~大峯山 No3
だらだらと標高が上がっていきます。
登っていて感じたのですが、高度差は同じでも地元の愛宕山の方が疲れ方が違います。愛宕山の表参道は階段ばかりでへばってしまいます。水尾から上がると大峯山よりきついけれど似たような感覚で上がれるかもしれません。
最初の休憩地点一本松茶屋に到着!
中にはベンチもありますが、最初から休憩するほど上がってきていませんのでここはさくっとスルーしていきます。
関西私鉄には登山会があるのですね・・・職場で登るというのもいいかもしれませんね。
さて、ここを通過後道が少し険しくなってきた感じがします。
それでも整備されいるので迷うことはありません。歩きやすい道と言えるでしょう。
所々崩落しているところは橋が架かっています。これも架けられた「講」の名前が記されておりました。
講(こう)とは、同一の信仰を持つ人々による結社である。ただし、無尽講など相互扶助団体の名称に転用されるなど、「講」という名称で呼ばれる対象は多岐に渡っている。
ところで「講」とは・・・
元々の講は「講義」「講読」の「講」であり、平安時代に仏典を講読・研究する僧の集団を指すものであった。後に仏典の講読を中心とする仏事(講会)を指すようになり、さらに各種の仏教儀式一般に講という名称をつけるようにもなった(報恩講など)。
この「講」が中世ごろから民間に浸透する過程で、様々な信仰集団に「講」という名称がつけられるようになった。信仰集団としての講には、地域社会の中から自然発生的に生まれたものと、外部からの導入によるものとがある。前者の講は、氏神・産土といった地域の神を信仰する氏子によって、その神祠の維持のために運営されるものである。社格の高い神社の講では、「村」の範囲を超えて広い範囲に構成員を持つものもある。
講は講社ともいい、講の構成員を講員という。講の運営にあたっては講元(こうもと)、副講元、世話人などの役員を置き、講員の中か選任され、講の信仰する寺社から委嘱されるのが通常である。
外部からの導入による講は、当初は山岳信仰に関するものであった。立山などの修験者が霊山への登山を勧めて全国を廻り、各地に参拝講が作られた。それにならって各地の神社・寺院へ参拝するための数多くの講も作られるようになった。これらの参拝講では、講の全員が参拝に行く「総参り」もあったが、多くは講の中から数人を選び、代表して参拝する「代参講」が行われていた。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
以前の記事でお伊勢さんの記事がありましたが、そこにも「講」が有りマス。
社寺などで寄進されたものの横に「~講」とあれば、その講が講の構成員から浄財を集めて作ったものと考えられます。
これも功徳の一つとして行われると言っても差し支えないでしょう。修行の傍らで自己ができる精一杯の信仰が形となったと言えます。
この講の方々はこのレポの後半で出てこられます。
ここで行程の目安である「お助け水」に到着!ここで小休止ですε-(´・`) フー
さっそくお水を頂戴することにします。
ゴクゴク ⊂(^^ ) 冷たいお水が染み渡っていきますね~それでも沢山飲んでしまうとへばっちゃうので1杯のみ戴いて体を休めました。
オトウト君が覗いていますが、ごぼ!ごぼ!と音がしています。
沸いているのかどこからか引いているのかは不明でしたが、有り難いお水には変わりません。
次は尾根道である大峯奧駈道まで一気に上がります。
ここで楽しい出逢いが待っていました(゚ー^*)お楽しみにね!
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